井上靖の家族

井上靖の家は六代に渡って医師の家庭に生まれました。そして井上靖の妻となるふみ夫人の出身地は京都の吉田山にて生まれました。父親は京都大学で教鞭をとっていた足立文太郎博士です。井上靖は代々続いた医師ということもあって、親の義理親の手前九州大学の医学部を受験しています。そして結果は不合格。そしてその当時は無試験だった京都大学の哲学部へと入学してきました。

そして、足立文太郎博士の母親が井上家の出身ということもあって、足立家と井上家は大変親しい間柄だったわけです。そして足立文太郎博士は父親と離別した後に井上家で育てられていたという関係でした。

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井上ふみ

井上靖の人生は、順風満帆というわけではありません。戦争中という状況もありましたが、高校時代にも浪人を経験していてそして大学にも七年もの時間を費やしています。ふみに求婚した時にはまだ学生という身分でした。

ふみはというと、同志社女学部から専門部英文科に進んでいますが、病気のため中退しています。そして、文士を目指していた靖から求婚されましたが、生活の一切の保証はない中での求婚でした。

そして1935年(昭和10年)結婚式の日、足立文太郎氏は「今日の婿さんは将来日本一の文士となります」と挨拶されたといいます。そしてふみ夫人は極貧を覚悟して、夫を育てるつもりでの結婚。そしてノーベル賞にも近い状態となり、ほとんど数々の文学賞を受賞して歌会始にも招待されるまでになりました。そしてふみ夫人は、夫を文士として育て上げつつ、子どもたちも見事に育て上げました。そして、70歳をすぎてからふみ夫人自身も筆をとるようになりました。それには夫の靖氏からの勧めもあったからです。

井上靖とふみとの間には4人の子供がいますが、長男の井上修一はドイツ文学者となり、東京大学ドイツ文学卒業後に一橋大学教授から筑波大学教授を経て、プール学院大学学長に就任しています。そして日本独文学会やドイツ語学文学振興会の理事長などを歴任し、世紀末ウィーン文学を研究してます。二女の黒田佳子は詩人です。

1991年(平成3年)に夫の死去によって井上靖文化財団理事長となりました。そしてその後に5冊のエッセイを刊行しています。

井上ふみ著書

  • 1991年(平成3年)・・・『風のとおる道』 潮出版社
  • 1992年(平成4年)・・・『天上の星 私の歌袋より』 毎日新聞社
  • 1993年(平成5年)・・・『私の夜間飛行』 潮出版社
  • 1996年(平成8年)・・・『旬菜歳時記』 講談社
  • 1996年(平成8年)・・・『やがて芽をふく』 潮出版社

足立文太郎(あだちぶんたろう)

1985年(慶応元年)6月15日静岡県伊豆出身です。日本の解剖学者で人類学者です。軟部人類学、とくに日本人を対象とした解剖学研究の先駆者でもあります。

東京帝国大学医科大学を卒業した後に、1899年(明治32年)からドイツのストラスブルク大学に留学しています。ドイツ留学から帰国後に第三高等学校教授を経てから、京都帝国大学医学部教授となり、解剖学を担当しています。

筋の異常の統計学的研究のほかにも、諸民族の体臭と耳垢についての遺伝学的・組織学的研究などが知られています。1925年(大正14年)に定年で退職した後に、大阪高等医学専門学校(現:大阪医科大学)の初代校長を勤めています。1930年(昭和6年)に帝国学士院恩賜賞を受賞しています。この受賞は第30回の恩賜賞です。そして1945年(1945年)4月1日に亡くなりました。

恩賜賞(おんししょう)

恩賜賞は、日本学士院の賞で1911年(明治44年)に創設されました。日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っています。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞になっています。恩賜賞は日本学士院による賞の中でも特に権威あるもので、毎年9件以内授賞される日本学士院賞の中から特に優れた各部1件以内に皇室の下賜金で授賞されるものです。

歴代の受賞者をみると、錚々たる受賞者でかなり学術的な業績をあげていないと簡単には受賞できないことがお分かり頂けると思います。

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恩賜賞歴代受賞者(第1回~第10回)

  • 第1回:1911年7月5日 木村栄 理学博士・・・ 地軸変動の研究特に(Z)項の発見
  • 第2回:1912年5月12日 有賀長雄 法学博士、文学博士・・・ 仏文日清戦役国際法論及仏文日露陸戦国際法論
  • 第2回:1912年5月12日富士川游 ・・・ 日本医学史
  • 第2回:1912年5月12日平瀬作五郎 ・・・公孫樹の精虫の発見
  • 第2回:1912年5月12日池野成一郎 理学博士 ・・・蘇鉄の精虫の発見
  • 第3回 1913年7月5日 村岡良弼 ・・・ 続日本後紀纂詁
  • 第3回 1913年7月5日上坂熊勝 医学博士 ・・・脳神経起首の研究
  • 第4回 1914年7月5日 田原淳 医学博士 ・・・ 哺乳動物の心臓に於ける刺戟伝導筋系統の研究
  • 第5回 1915年7月5日 野口英世 医学博士、 理学博士 ・・・スピロヘータパリーダの研究
  • 第6回 1916年7月2日 大矢透 ・・・仮名に関する研究
  • 第6回 1916年7月2日林泰輔 文学博士 ・・・ 周公と其時代
  • 第6回 1916年7月2日稲田龍吉 医学博士 ・・・ 黄疸出血性スピロヘーテ病に関する研究
  • 第6回 1916年7月2日井戸泰 ・・・黄疸出血性スピロヘーテ病に関する研究
  • 第7回 1917年7月1日 佐佐木信綱 文学博士 ・・・日本歌学史及和歌史の研究
  • 第7回 1917年7月1日寺田寅彦 理学博士 ・・・ラウエ映画の実験方法及其説明に関する研究
  • 第8回 1918年5月12日 和田英松 ・・・ 宸記集及皇室御撰解題
  • 第8回 1918年5月12日木村泰賢・・・ 印度六派哲学
  • 第8回 1918年5月12日柴田桂太 理学博士 ・・・植物界に於けるフラヴォン体の研究
  • 第9回 1919年5月25日 石原純 理学博士・・・ 相対性原理、万有引力論及び量子論の研究
  • 第10回 1920年5月30日 三浦周行 文学博士・・・ 法制史之研究