映画:わが母の記(後半)

「わが母の記」あらすじ その2

登場人物(昭和39年)

  • 井上洪作・・・役所宏司
  • 母親/八重・・・樹木希林
  • 伊上家長女/志賀子・・・キムラ緑子
  • 志賀子の夫/明夫・・・小宮孝泰
  • 伊上家次女/桑子・・・南果歩
  • 女中/貞代・・・ 真野恵里菜
  • 洪作の妻/美津・・・赤間麻里子
  • 洪作の長女/郁子・・・ミムラ
  • 洪作の次女/紀子・・・菊池亜希子
  • 洪作の三女/琴子・・・宮﨑あおい
  • 元編集者/瀬川・・・三浦貴大

川奈ホテルでは長女の郁子が間もなく結婚を控えていましたが既に結婚式もすませて、赤ちゃんを抱えて実家の世田谷に里帰りをしてお食い初めの日のことです。そして、お食い初めの最中に連絡が来たのでした。

伊豆の湯ヶ島では、とんでもない大騒ぎになっていました。志賀子の夫の明夫は交通事故にあってしまい骨折して寝たきり状態。そんな明夫に向かって八重は「あんた、毎日ゴロゴロしていい御身分ですねえ」と毎日のようにぼやきます。そして娘の志賀子に向かっても「使用人のくせに…」とまで言われて志賀子は大ショックを受けます。そんな日が続くにつれて、もう我慢がならないとSOSを求めて、洪作の元へと電話を掛けてきたのでした。

琴子は八重が嫌がっている東京で面倒をみるのではなく、軽井沢の別荘で預かったらどうだと主張します。八重のことを敵呼ばわりして「敵は手強い」などとちゃかしている家族に、洪作は怒り出すのでした。そしてそうなると、娘たちはこれまでの洪作がしてきた子育てに対しての批判することに話は発展して、次女の紀子も琴子に加勢してきます。さすがに洪作も娘達に言い返すことはできずに結局そのまま書斎へと篭ってしまうのでした。

そして、洪作は八重を湯ヶ島へ迎えに行くことになりましたが、八重は頑なに姨捨山(うばすてやま)に連れて行かれるのだと思い込んでいて、娘の志賀子の手を叩き続けています。そして、瀬川のことをアメリカに移住している叔父だと勘違いをしています。そして、自分の娘次女の桑子もまったく忘れてしまっていて「あら、お綺麗な人ね」と、完全に娘の記憶が失われている様子です。

そして、八重の身の回りの世話をしてくれている女中の貞代と一緒に東京へと向かいます。として、久しぶりに潮風を感じながら浜辺を歩いていると、台湾に渡った日のことを思い出していたのでした。

八重を送り出した志賀子は、母がずっと口にしていた姨捨山のセリフを、どう考えても八重が皮肉をいっているに違いないと語ります。とにかく毎日毎日小言や嫌味ばかり。ぼけているとは分かっていても、ムシャクシャするのも当たり前です。

世田谷の自宅では、洪作が姨捨山に関する資料を読んでいます。その書斎にまた八重が迷い込んできて、なるべく早く伊豆に帰国したいと言い出すのでした。そんな母親に読ませようと、洪作は伊豆で暮らし始めた時に持たせてくれた絵本を見せるのですが、八重は特にそれについて何も触れることはありません。

洪作にはこの絵本の記憶があります。姨捨山の絵本を初めて読んだのは5歳の頃の記憶でした。いつの日か自分が母親を捨てる日が来るのかも知れないと思って、土蔵の中で咽び泣いた記憶です。しかし、八重のまったく記憶にない様子に、いつまでもどこまでも母親を求め続けてきた洪作は落胆します。

その翌日には、軽井沢へ連れて行こうと言い出した琴子と瀬川が、洪作より先に軽井沢の別荘に行きます。あとで洪作が軽井沢へ様子を見に行ったのですが、八重から既に瀬川は看守扱いされています。そして琴子を憲兵呼ばわり。八重はますます痴呆が進んでいて、更に手強くなっています。もちろん憲兵呼ばわりされている琴子は、もうすでに爆破寸前です。八重にどんな事実を言っても、八重にはすぐに違う内容へとすり替わってしまうのですから・・そして、洪作のことを今度は八重はアメリカの叔父さんだと勘違いしています。そしてアメリカの叔父さんだと勘違いしている八重は、以前に嵌めていた銀時計のやり取りを、別人だと認識している洪作に問い尋ねるのでした。

怒り爆発状態の琴子は、そのまま夜中にテニスクラブに行きます。そして大学の同級生の男子とテニスに興じるのでした。そして洪作はそんな娘を見張るようにして、川奈ホテルのラウンジで娘を待っていました。

「あなたは作家ですか? 息子ですか?」とベロンベロンに酔っぱらった琴子が、酔った勢いに任せて父親の心に入り込んでいきます。洪作は作家としては八重に優しいのですが、八重の息子として実際の子供としては母親を恨んでいます。ここで琴子は歌いだします。 歌を忘れたカナリアは~♪と歌い出して、すべてを忘れてしまったおばあちゃんを裏山に捨ててしまうのでしょう♪ と、歌いながら洪作に向かって言っているのでした。

その夜のこと、八重が突然姿を消してしまい、みんなは騒然とします。そして洪作は八重を神社の境内で発見するのですが、神社で八重は蝋燭に火を灯して、石灯籠に火を点けていたのでした。そして激しい雨が降り始めて、雨宿りしている母親八重の姿と息子である洪作の姿を、瀬川と琴子は遠くから見つめていたのでした。

結局、どうにかこうにか軽井沢を八重気に入ったようで季節はもうすでに冬になっていたのでした。

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舞台は昭和44年

舞台は伊豆です。昭和44年(1969年)に、伊豆の山奥の土蔵で、洪作を育てた曾祖父の妾おぬいの五十回忌の法要です。あれから琴子はプロの写真家になって、瀬川と付き合っています。次女の紀子は父親に遂にハワイへの留学を許されて、晴れて自由の身へとなりました。三人姉妹の中でも、琴子が洪作に一番はっきりと物を言って、洪作からは一番遠くでも一番側にいた三女の琴子です。

洪作は母親に対して疑いを抱く不確信な愛情。そんな父親の心の様子をじっと琴子は見ています。そして琴子も洪作から、祖母の八重の話や土蔵のおばあちゃんの話を聞いている中で、父親としての存在をしっかりと胸に刻み込んでいったのでした。

八重の面倒は、東京で何回か面倒を見るようになったのでしたが、八重の痴呆はもう手が終えないほどに進行していました。それは伊上家の家族中が大騒ぎするほどまでに、痴呆症は進行していました。決まった時間になると、伊豆に帰りたいと騒ぎ出しますが一定時間を過ぎると、まるでさっきの嵐が嘘のように大人しくなります。そして、夜に懐中電灯を手にして、遂に八重は夜間に徘徊するようになっています。八重は着実に年齢を重ねて、痴呆症が進行しています。

八重は、夜になると毎晩必ず家族のどこかの部屋にさまよっていますが、八重のそのさまよう姿は決して子供が母親を探しているような愛らしいものではなく、まさに凄味のようだと秘書は話ます。そして「母親が子供を探しているのかな…」とも思えます。子どもを何が何でも守りぬくという母親の凄みは想像を超えるものがあります。そんな家族の会話をどこから聞いているのか、いつの間にか八重が真後ろに断っています。

そんな会話がやり取りされているある昼下がりのこと。八重は「ある日、物を書いていた人(つまり洪作自身)が亡くなりました」と言い出します。そして洪作自身のことを弔問客だと思っています。八重はなんの幻を見ているでしょうか。そして妾だったおぬいから息子(洪作)の居場所を、八重は聞き出そうとしているのに、おぬいは息子の居場所を、教えてくれないと語り始めるのでした。

「雨が止んだ。校庭にはたくさんの水溜りができている。太平洋、地中海、日本海、喜望峰、誘導円木の影、だけど、僕の一番好きなのは、地球のどこにもない、小さな新しい海峡。お母さんと渡る海峡・・・・」と、八重は少年時代に洪作が作った詩の内容をつぶさにくちにするのでした。そしてその詩は洪作自身もすっかり記憶から忘れ去った詩でした。その詩を母親は覚えていたのです。そして認められたその詩を、母親は今でも大切に持っていたのでした。

八重のさまよう姿は、一人だけ預けて行った息子も姿をただただずっと探していたのでした。

洪作は、ずっと心のどこかで「自分を捨てた母」と母親を恨み続けていたのですが、自分自身を息子だと認識できなくなってしまった母親から、これほどまでにずっと自分のことを想い続けてくれていたのか。とようやく実感することができたのです。洪作の次女紀子が留学するために旅立つ日の夜のことでした。

豪華な客船に乗って見送られる中で、妹の桑子の到着を待っていました。そんな時に、妻は洪作との結婚式の時に話してくれた八重の話をします。同じように船に乗って台湾に渡るのは、八重は死ぬような思いだったという母でした。せめて伊上家の跡取りでもある長男だけは何が何でも助けたいという思いから、実家に洪作だけを残したのでした。それは、血筋が途絶えないようにと、家族を分散するのが戦時中の慣わしだっのでした。母親は決して自分を捨てたわけではなかったことを知り、ようやく母の本心を知った洪作は、家に電話を入れるのでした。

ちょうどその夜に八重は、琴子たちに気付かれぬように、家の外に出て徘徊し始めていまし、家のドアを開けたまま、姿を消してしまっていました。

八重が迷い込んだのは、トラック野郎たちが飲んだくれている食堂です。明るい店内を懐中電灯を照らして、ボーッとしている彼女を見てびっくりしたトラックの運転手たちに八重は声をかけます。そしてトラックの運転手たちに「沼津の海に行けば、息子に会えるんだ」と言い出しているのでした。

そしてトラックの運転手が力になってやろうと仲間に呼びかけて、沼津方面に向かうトラック運転手を見つけます。そして運転手に乗せてもらって八重は沼津へと出発したのでした。

ようやく琴子がなんとかその食堂に辿り着いた時には、八重を乗せたトラックはもう既に出発した直後でした。事情を知ったトラック運転手が、別のトラックで追いかけてくれるのでした。

「兄さんの泳いだ海に行くのよ」という八重ですが、その海は洪作が少年時代に泳いだ海です。八重は海が怖いと言っていましたが、息子を探して沼津の御用邸の海へ行きます。

出発間近の客船から洪作は降りてゆくと、すぐにその足で沼津の思い出の浜辺へ向かって、母親の到着を待っていたのでした。洪作は一晩中たき火をして母親を待っていました。そしてその息子の前に母親の八重もようやく辿り着きました。

途中でいろいろありましたが、洪作が自分を捨てたと思っていた母に対する疑いは、もう完全に消え去っていました。

痴呆が進んで、全ての記憶を失いさっても、八重はたった一人の息子を探し続けて、そしてその息子をひたすら愛しく思い、戦時中のこととは言っても、置き去りにしてきたことを自分の重荷として、ずっと後悔の念をもって生きてきた母親。息子を思う気持ち。その深い愛情は痴呆が進んでも忘れてはいませんでした。そんな母親を洪作は背中に背負いながら、母のぬくもりを背中に感じながら、海をただ見つめています。

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あらすじ最後

昭和53年(1973年)のこと、久しぶりに琴子が帰ってきた時、洪作には視線の先に母親の姿が見えた気がします。虫の知らせでしょうか・・

そんなとき、妹の志賀子から電話が入り、洪作は直ちに伊豆に発つ支度をしています。しかし、洪作のもとに、再び電話が鳴り響きます。

母親の訃報でした。息子の姿を探し求めて沼津の海へ行った八重。探し続けた息子を母も痴呆が進んでいたとはいえ、背負ってもらった時に息子の居場所を確認することができたのでしょうか。あの日以来、今までの徘徊がうそのように、八重はおとなしく湯河原で過ごしていました。

母親の訃報を聞いた洪作の眼には、姨捨山の情景が浮かびます。捨てなければならないという掟を分かってはいても、捨てるのに適当な場所が見当たらない。

「ひとりの母のために、捨てる場所くらい探してくれたって罪にはなりますまい」

洪作は母親の八重から貰ったお守りを棺に納めて、静かに母親に別れを告げるのでした。